第64回 富士登山競走 完走!!
今年一番の目標に掲げてきた『富士登山競走 山頂コースの完走』を達成した
応援して下さった皆様、本当にありがとうございました
2011年7月21日(木) 勤務を終え、母の施設に寄ってから帰宅 急いでシャワーを浴び、用意しておいた荷物を車に積み込み20時過ぎに自宅を出発
途中のサービスエリアでサンドイッチを購入。運転しながら夕食として食べ、オマンサツアー(マラソンWEB練習日記の仲間が富士登山競走のために主催)の宿泊地である‘サンライズ尾崎’に到着したのは22時半頃
仲間が私に代わって前日エントリーを済ませてくれており、部屋にはゼッケン他が置いてあった。いよいよだと感じる。明朝は4時から朝食のため、既に皆は就寝していた。
私も布団を敷いて最低限の準備だけを済ませ寝る 同室には今回応援隊として参加するサンバさん(エントリーを逃してしまったそうだ)が後着。
7月22日(金) 3時過ぎに自然起床 予定通り4時から朝食
五合目コース初参加から1年。『富士登山競走』の仲間と再会した。たった一度しか会ったことのない人達でも、親しい友人のように感じてしまう。
5時に宿を出発。私の車には3名を乗せて、駐車場として事前に指定されていた富士吉田小学校へ向かう。そこからスタート地点である富士吉田市役所まではマイクロバスで移動。
メンバーと別れ、各々のペースで行動となる。
私は早々に五合目まで運んでもらいたい荷物を預ける。身に付けている物は、ネイサンのボトルポーチにアミノバイタル、塩飴、塩、少額のお金のみとなった。
昨年は立っているだけで汗が出るほど暑かったのに、今年は寒くて寒くてたまらない。風の通らない建物の陰に身をひそめてスタート地点に人が並び始めるのを待っていた。私はCブロック(一番後ろの組)からのスタートだが、ブロック内で少しでも前にいた方が有利だと聞いていたので早めに並ぶつもりだった。
しかしその場所から道路を眺めていても人の並ぶ気配が一向にない。出走20分前にいくらなんでもおかしいなぁと一度道路まで出てみたら…ちょうど私の見える位置はAブロックとBブロックの間で間隔を空けてある場所だった。つまりとっくに人がギッシリ並んでいたのだ。あ~あ、と思いながら列の一番後ろに並ぶ。それでもまだ後ろに人はやってきた。
開会式の挨拶が行なわれ、全員で「エイエイオー」をした後、山頂コースは7時にスタートを切った。後ろの方にいるといつがスタートだったのかがよくわからない。ゆっくり列が動き始め、ブロックごとの間隔を詰めてから出発なのかな?と思っていたら、そのまま走るスピードになっていき、もうスタートが切られていたことを周囲の人と確認する。私の横には人懐こくてよく喋る初対面の女性がいた。彼女のお蔭で集中はできなかったけれど、緊張もせずに待ち時間を過ごせた。
スタートから中の茶屋までで自分の調子がわかるだろうし、そこまでの整備された舗装路でいかにタイムを縮められるかが大事だと思っていた。
20日に最終体調管理として日帰りスパへ行き、全身(特に下半身)マッサージ60分を受けたのだが、これが失敗で21日朝から下半身が浮腫み、大腿部はだるく重くなっていた。
しかし走りだしたらそれが全く気にならなくなり、これなら普通通りに行けそうだと安心した。
沿道の人達からの応援が力となる。隣りにいた賑やかな彼女は応援する人達に向かって手を振りながら「ありがとー」とずっと応えていた。それでも私と走るペースは前後しながら同じくらいで進み、タフだな~と感心していた。彼女も昨年の五合目初参加タイムは私と同じ2時間19分台だったと言っていた。
ずーっと続くなだらかな登り坂でだんだんと疲れてくる。私の周囲は同じく遅い人達の集まりなので、中の茶屋に着く前からも歩いてしまう人の姿もチラホラ。
私は中の茶屋までを45分で走った。上々だ。頭の中では常に「地面を後ろ脚で押す」ということを反芻していた。給水は1口だけ飲んで捨て、先を急いだ
中の茶屋から馬返しまでは舗装路であっても凸凹道。勾配がきつくなる箇所もあり辛いが、2回の練習ともに走り切っているので、今回も何が何でも走るぞ!私は走れるんだ!という強い意志で周囲の多くが歩く中をノロノロでも走り切り、大分抜き、馬返し通過が01:10:55だった。塔ノ岳さんから頂いていたスケジュールより55秒遅れたが、私にとって一番苦手としていたロードをこのタイムで走り切れたことで『完走』が有り得るかもしれないと実感として思い始めた。
馬返しからは慣れた道で調子は良かったのだが、何せ渋滞で右へ左へ、広いスペースの場所ではあえて遠回りを選び少しでも人をかわして行く。練習ではあえて通らなかった段差の大きな階段や凹みも抜くチャンス。足の疲労を考えるよりも人を抜けるところで抜くことが優先だった。
最初に出てくる五合目小屋から6曲がりくらいすると小さな‘社’がある。ここを通過したらもう車道は直ぐだ。その社が目に入った時、今日はもうここから下らないので最後のご挨拶だと思うと、練習期間を怪我もなく見守り続けてくれたような気持ちになり涙がこみ上げてきた。それによって呼吸が乱れ、「ああ、いけない。ここから始まりなんだ。」と気を引き締め先を急いだ。
車道に飛び出すと、ここも最後の走りどころ。「絶対に歩かない」を胸になんとか走り切る。そして渋滞の登山道を少々登ると第一関門となる佐藤小屋直下の車道へ出る。
車道までの停滞だ。並んでいたら上の佐藤小屋から「あと11分」と声がかかった。もう時計など全然見てはいなかったが、あと11分ならば関門突破は間違いなく、自分の中での目標である2時間10分以内に着いたと安堵した。
ところがこの停滞がなかなか進まない。「あと10分
」…「あと9分
」とカウントダウンされる度に慌てる人が並んでいられず後ろから人をかき分け、草木をかき分け前へ出て行く人がいる。それに対して「みんな我慢して待っているんだからルールを守って並べ
」と怒鳴り声が飛び交い緊張感が漂う。中には「こんなところでカウントダウンは止めろ
行きたくても行けないんだから言うなら前に早く行くように言え
」などの声もあった。本当に心臓に悪い
「あと6分」という声を最後に流れて走りだし、第一関門突破は02:14:15だった。
涼しいので喉がほとんど渇かない。それでも意識的に給水ポイントでは必ずコップを受け取り一口でも飲むようにした。ここでアミノバイタルゼリーと塩粒5つを補給。
星観荘を過ぎるとまた直ぐに渋滞だ。流れたかと思うと、直ぐにまた渋滞となり、その繰り返しで富士スバルラインとの合流地点まで行く。時間のロスだ。
砂礫道を7合目まで上がって行く。登山者も普通にいるが、しばらくは道が広いので抜くことには困らない。でもここでは無理せず小刻みステップでペースを守ってしっかり登ることを心掛けた。自分は雪渓登りに実績があるので、マイペースでさえ登ればおのずとタイムはついてくると信じて登る。
岩場に入ると渋滞が酷い。その場で動けなくなっている人もいれば、四つん這いで張り付いている人もいる。少々のクライミング歴を発揮して、悪路を選んでそこが一番の抜きどころ。歩き易い場所、狭い場所になると身体を前に入れてきてストッパーとなってしまう人がいる。抜くなら早く行ってよ~と思いつつも、そんな人の息はハァーハァーゼーゼ―苦しそう。そういう姿を見るとある意味元気な自分に気が付き「まだ余力がある!」と思え、抜ける場所では多少の無理をしつつもきっちりと抜いていく。
小屋の前に幾度となく出て来る階段もスローに並走されると抜くに抜けないポイントで、歯痒くて「お願い~早く~~!」と念じるようだった。
7合目から8合目では救護班で出走している人だと思われたが、「ここで頑張れー!8合目を5分前で通過するぞー!」「行ける行ける!」「まだ間に合う!」「ボーダーラインだぞ!」「強い気持ちで行けー!」「気持ちを切らすな!」などなど何度も大声で叫んでくれていた。
それはとても力になった。
8合目の関門はいつ通過したのか全く気付かなかった。
その後も一心不乱。ただひたすらに一歩を進め、登ることに専念した。小屋の名前も見ちゃいない。くぐったはずの鳥居も目には入らなかった。
上を一度だけ見上げたら、大勢の人が山頂の際に立って声援を送ってくれている姿が目に飛び込んだ。ゴールまで遠くはない。
目がクラクラしていたが、「あと3分」か「あと1分」のコールがハッキリ聴こえた。(その時は明確に意識できていた) もうダメだとは思わなかった。「行ける!行くんだ!」と強い意志が湧いて、そこから数名を追い越し、ゴール直下では「走れー」「行けー
」の大声援。
「あと10秒」と叫ばれカウントダウンされる中、最終ゴールの絨毯を踏んだのだった
「ああ、本当に完走した。間に合った。」と放心状態だった。
そこへ「noriさん、おめでとうございます」と笑顔で迎えてくれる人がいた。一瞬わからなかったが、塔ノ岳で一度お会いしたことのあるカズさんだった。「どうしてー
」「noriさんは絶対完走すると思っていました。」と満面の笑顔で言ってもらった時、意識が戻ってきたというか、喜びの感情と安堵が湧いてきた。カズさんの笑顔と出迎えがどれだけ嬉しかったか。心に沁み入った。ありがとう。ありがとう。本当にありがとう。
そしてWEBの仲間で先着していたオックンと合流できた。足元はフラフラ状態。止まることができなかった。
はてさて応援隊や、先にゴールしたメンバーはどこに居るのやら?山頂付近を探し、しばしウロウロしたが見当たらない。2人で下りた方がいいのだろうか?などと話していると、応援隊のサンバさんが現れ仲間のいるところへと誘導してくれた。
その頃に自分の中で感動が溢れてきた。歩きながら涙が出た。短い間だったが、時間を作ってはトレーニングに足を運び、ただ完走だけを目指して頑張った思い出が蘇ってくる。努力が報われる幸せをかみしめた。お守りとして着用させてもらった、野村さんからいただいたアームサポーター、かつき丸さんから教わったネイサンのボトルポーチ、にゃんこからもらった塩飴は8合目で最後の力になった、前日受付をしてくれたユッカさん、私が完走するためのタイムスケジュールを組んで応援してくれた塔ノ岳さん、職場の仲間や友達、ブログで応援してくれた仲間達。私を支えてくれていた人や事柄が次々に想起されて胸が熱くなった。これ以上ない最高の気候で私を迎え、引き上げてくれた富士山だった
【コースタイム】スタート07:00→馬返し08:10:56→佐藤小屋五合目09:14:15→八合目10:56:05→富士山頂ゴール11:29:06
【所要時間】スタート→馬返し1:10:56→佐藤小屋五合目02:14:15→八合目03:56:04→04:29:06
【順位】山頂コースエントリー 2576名(内女性141名)
総合順位 1249位/1292名(完走者総数)
女性部門 48位/50名(女性完走者)
ゴールでカウントダウンを受けてギリギリだと思っていたが、RUNNETの速報結果によると上記のように54秒の残り時間があった。
これは7月23日(土)山梨日日新聞の朝刊に掲載された写真だが、岩の上に水色の幟を垂らし、水色のWEBTシャツを着ている代表のイッキさん、そして応援隊のサンバさん、楽勝完走のZAEさんが写っている。
お互い全然気が付かなかった。
仲間の元で一休みすると寒くて寒くてたまらない。
朝の出走時のアナウンスでは、山頂の気温15℃。無風。快晴だったので、もっと気温は上がっていたとは思うが、どうも山頂に着くと私は寒さが身に沁みてしまうようだ。
ウインドストッパーを着ても寒くて、雨具やアームウオーマーなどを貸してもらい保温。
低血糖だと言われ、飴やウィダーinゼリーをいただき復活する。
下山はfukusuke2号さんとお喋りしながら降りた。
ランナーの皆さんは下りが足に来て苦手だというが、山女の私はその辺りは鍛えられているのか何ともない。下りは楽ちんなのだ
五合目の荷物預かり所付近の様子。
おにぎり3つと沢庵のお弁当をもらう。
靴に付けたチップを外し返却。
下山してくる山頂組WEB仲間とここで合流し、サンバさんの車&運転で富士吉田市役所へと戻る。
それぞれの駐車場に散って車を回収し、再度富士吉田市役所からサンライズ尾崎まで仲間を乗せて帰る
お風呂でサッパリしてからお楽しみのBBQ
自己新記録を出した人、余裕の完走の人、初完走の人、完走を逃した人など色々だが、終われば皆和やかムードの楽しい宴会
食べても食べてもいっぱいある食材。
おいしかったな~ 焼き係りをしてくれたいっちいさん、いかりんさん、お疲れ様でした
白ナス丸ごと焼きも美味だった。
屋外BBQ後も男性陣は部屋飲み本番があったようだけれど、サンバさんと私はそのまま部屋に戻って眠ってしまった
いかりんさんから私のブログの温泉写真の話が出て、ぜひこの‘サンライズ尾崎’でも!のご要望にお応えして、本当はサンバさんと2人写真を撮りたかったのだけれどタイミングが合わずで明朝寝ぼけ顔での一人写真になってしまった。残念
サンライズ尾崎のお風呂は大小1つずつあり、薬草(どくだみ)湯で、浴槽の中には溶岩が置いてある。
写真を撮るつもりがなく、三脚の持参がなかったため浴槽の淵にカメラを置いての撮影 アップ過ぎるため画素を落として落として
朝食前に山中湖1周をドライブした
他のメンバーは早朝RUNをしていた
本当に走るのが好きなんだなぁ。
私はやはりランナーにはなれない。
お豆腐の美味しい店があると紹介を受けたのがこの『角屋豆富店』
店内に入ると直ぐに試食をお玉に1杯一人ずつにさせてくれた。
温かいお豆腐にお醤油をかけて食べたら濃厚な大豆の風味がして美味しかった。
お土産を買って皆さんとお別れ。
来年は応援隊で参加したいと思います
またの日までお元気で
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